2009年08月31日

1票の重さについて

いまは数年に一度の超繁忙期の真っ最中で、恒例の八王子まつりをのぞけばもう一ヶ月以上、近所のスーパーより遠くへ出かけていない。

そんななか8月16日に風邪をひいて、ようやく治りかけた21日にまた別の風邪をひき、さらにこれをこじらせて23日に中耳炎になった。
同時に、4月に強烈に頭をぶつけて脳震盪を起こしたところが再びガンガンと痛み出したため禁酒を決行。
多忙なため寝ることもままならず、ふらふらになりながら毎日びっしりのスケジュールをこなしていくばかりである。
こんなときにかぎって友人からの飲みの誘いが多かったりして、申し訳ないがすべて断らせてもらっている。

そんな折ではあるが、国民の義務なので昨日は投票に行ってきた。
以前に当ブログで取り上げた幸福実現党はみごとに当選者ゼロであった。
本来非課税の宗教団体から十数億円もの供託金が没収となり、国家としては喜ぶべき結果といえる。

さて、選挙も終わってしまったいま、あえて以下のようなブログを取り上げてみる。

選挙には行かない

続・選挙には行かない

わずかな影響力しか持たない1人の庶民として、1票の価値に無力さを覚えるのは感覚として無理もない。
よって投票に行かないという考え方にも一理あるとは言えるのだが、その場合はこっそりと、誰にも言わずに、というのが基本である。
不特定多数が閲覧するネットにおいて、投票に行かないことの正当性をとくとくと主張するのも立派な政治活動である。
投票率が下がれば得をする勢力というのは確実に存在し、彼の主張はその勢力を利することになる。
そしてそんな勢力が国民のためになる政治を行うわけがないのは考えるまでもなくわかることであり、そうした主張が回りまわって自らの首を締めることに彼は気づいていない。

しかしながら「なんでろくな教育も受けてないアホどもと俺様が同じ1票なのか」という論調になってしまっては読む側の賛同なんか得られるわけもなく、穿った見方をすれば「ほめ殺し」と同じパターンとも解釈できる。
つまり、あえてアホのふりをしてアホな意見を書き、その逆の主張を正しいと認めさせる高度な論法である。

まあ、そこまで書いといてなんですが、そんな深い意図など持たないただのアホ説に1票投じておきます。
posted by ハジメ at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

無粋が他人に粋であれと説く

よしもとばなな『人生の旅をゆく』掲載のエッセイで、有名なサイトでも取り上げられた文章なので知っている人もいるかと思うけれど、いちおう引用します。

 この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。
 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
 それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
 ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。
 するとまず、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。
 さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。
 私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
 店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
 しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
 いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
 もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
 居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
 その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。
 これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
 それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。

(中略)

 というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、私たちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だったのだが、いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。


繁華街慣れしている人間から見ると噴飯ものの内容だと思う。

僕には商売人の血が濃く流れているから、なじみの客に融通を利かせるといった柔軟さの必要性についてはよく理解しているつもりだけれど、実は客商売には、店にとってマイナスとなる客に対しては「帰れ。二度と来るな」ときっぱり言う勇気も必要なんです。
このケースで彼女はどう見てもマイナスの客でしかなく、追い出されたあとにうだうだと続く負け惜しみと恨み言を読むかぎり、やはり追い出して正解だったと思う。
もっと言えば、それだけ金持ちで人脈持ちを自称する人間なら、融通の利くなじみの店なんていくらでも知ってるはずで、チェーン居酒屋の哀れな雇われ店長にマニュアル以上の対応を強要する愚をおかす前にそちらに行って好きなようにすればよかったじゃないか。
マクドナルドに持ち込みをしたら確実に注意されるのだけれど、マクドナルドの商売が下手だといえる商売人が世界に何人いるだろう?
きつい言い方をするが、要は店に合わせた振る舞いすらできない田舎者が何を気取ってんだという話である。

庶民の僕でさえ、もう世間的にはオッサンと呼ばれる年齢になってからは、友人と飲みに行くのにチェーン居酒屋なんてまず使わない。
地元や、新宿や渋谷といった大きな繁華街なら、僕が仮にワインを持ち込んだところで笑顔で許してくれる行きつけの店だって何軒か知ってる。

彼女のデビュー初期の作品を読んだときにはそれなりに才能のある作家だと思ったのだけれど、結論を「昔は良かった」で締めるセンスは残念といわざるをえない。
posted by ハジメ at 12:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

コール・オブ・ファレス 血の絆

知る人ぞ知る西部劇FPS。
XBOX360専用ソフトだった前作は評判が悪かったが、今作はPS3でも出るし、前作に寄せられた不満点をかなり解消したというので買ってみた。

西部のリアルな風景、ハードボイルドなシナリオ。
無骨さと繊細さを併せ持った演出。
一本の良質な映画を観るようだった。
特に演出面では、日本のゲームはもはや追いつけないくらいの差をつけられてしまった。

ただし僕も男兄弟を持つ身として言っておくと、たかが女にそそのかされたくらいで兄弟を売るような真似は絶対にしない。
まして「女と馬の扱い方は同じだ。言うことを聞くよう命令すればいい」なんてセリフが飛び出す時代の話だ。
あれだけ強くてかっこいいマッコール兄弟が娼婦崩れの女に振り回されなくても良かったと思う。
それだけにラストの展開は予想外だった。

お話だけでも買う価値はあるのだけれど、システム面でも優れたところがいくつもあった。
特に、兄弟でドアを蹴破ると同時に室内の敵に向けて乱射する演出。
あそこはもう何度やってもテンション上がる。

FPSと言えばCoD4も優れたゲームだけれど、BGMやセリフ回しのセンス、背景の雄大さなど、本作ならではのセールスポイントも多い。
思わぬ掘り出しものだった。
イージーでプレイすれば難易度も高くないので、映画ファンならマストバイの一品。
posted by ハジメ at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

ドラゴンクエスト9

津川雅彦御大のブログが熱い、などといろいろ書きたいことはあるものの、多忙にかまけてなかなか書けない状況。
そんななか、ドラクエ9の感想だけはいちおう早めに書いておかねばならないかな。

現在いちおうエンディングまでは見まして、あとは中古流出防止のために用意されたクエストをちくちくと進めているところ。

とりあえずこれが制作に5年もかかる内容かと問われれば、首がねじ切れんばかりに横に振らねばならないが、ではamazonのレビューで最も割合の多い星1つレベルのゲームかと問われればこれも違う。
個人で勝手に持っていた期待の高さを裏切られたからといって減点理由にしちゃいかんですよ。

本筋のお話はたいしたことないんですが、訪れる街それぞれに用意されたシナリオが一貫して死をテーマにしており、さまざまな人間の死に様をひたすら描く内容になっている。
何のために死ぬか、何を遺して死ぬか。
今回そこに気づけるかどうかが、僕がよく言う「評価者としての資質」の分岐点になりうる。
いわゆる「ありがちなお話」とはあえて外した流れも散見でき、そこは評価していい部分だと思う。

単に「売れている」「成功している」というだけでケチをつけたくなる人種というのがこの世には少なくない割合で存在していて、泥沼の中から周囲の誰かが抜け駆けしないように互いを監視しあっている。
日本で成功するということは彼らとの戦いでもあるわけだけれど、実は彼らには味オンチという共通点があるので見分けやすい。
味オンチには近づくな、と僕がよく言うのはそのためである。
ドラクエの話だったはずですが。
えっと、おわります。
posted by ハジメ at 02:35| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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